DJイオとおれ

記録です。
パリッコ 2023.01.22
誰でも

イオさんが死んでしまった。

そのことについて、今書いておかないと、きっとあっという間に月日が流れてしまうだろうから、書いておくことにする。

イオさんとの出会いは、はるか四半世紀近く前の、1990年代の終わりごろだ。

若かりしころの僕は、高校時代に出会った電気グルーヴにあこがれ、シーケンサーやサンプラーといった最低限の機材を買って、自分や友達の声だとか、TVからサンプリングした音源などを使った、ふざけたテクノミュージックを作ることにあけくれていた。そんななかで「ナードコア」の存在を知る。それは、僕のやっているようなことをもっともっと突きつめ、凄まじい熱量を持って活動している先人たちが作りあげた音楽ジャンルで、アンダーグラウンドではあれど、ものすごい勢いで多くの人を魅了している真っ最中のムーブメントだった。

当然、僕も参加してみたいと思った。そこで、アルバムを作り、当時はまだ1枚100円以上もしたCD-Rに、思いきって買った、PCに外づけする専用のライターでデータを焼き(途中、うっかり部屋の電気を消すだけで止まってしまうような危うげな性能だった)、美大に通っている友達にジャケットを作ってもらい、それをコンビニでコピーしてカッターで切り、CDケースに入れて、それはもう、まるでおばあちゃんのぽたぽた焼きのように、1枚1枚ていねいに、CDを作った。

当時、同じようなことをしている人たちはたくさんいて、そういうぽたぽた焼きを委託商品として取り扱ってくれる店もけっこうあった。渋谷と原宿の中間くらいにあった「binary」もそのひとつで、僕はそこの店長や店員さんになんとなく気に入ってもらえ、店に行くたび、うだうだと世間話をしていた。そこで店長に、「最近入ったこれ、おもしろいよ」と教えてもらったのが、イオさんが当時の別名義で作った「8BIT_16ATTACK!!」だった。全編ファミコンの音源をサンプリングしたテクノで、その執念は常軌を逸していた。特に「ロックマン」の各シリーズの音源を使った10分以上にもわたる組曲「Rock Da Gabba」は衝撃的だった。

しばらく後、確か「CLUB asia」で行われていたなにかのイベントでフライヤーを配っていたのが、イオさんが当時やっていた「バードマン」のクルーだった。そこで初めてイオさんと出会い、向こうも僕のことを知っていて、なんとなく気にしてくれていたようで、さらにふたりとも重度の酒好きということもあり、乾杯して意気投合。頻繁に飲みにいくような仲になるまで、そう時間はかからなかった。

イオさんと僕にはもうひとつの共通点があって、当時ナードコアの主流であった、ガバやハードコアよりも、ビッグビートやファンキーなハウスなどをより好んだという点だ。特にファットボーイスリムには心酔していた。自然と「一緒になにかやりたいですね」ということになる。イメージとしては、バンドとかユニットではなくて、音楽レーベル的なもの。しかも、当時のイオさんはアナログメインのDJをしていたから、ナードコア界隈では珍しかった、きちんとアナログレコードをリリースしていくレーベルができたらな、なんて夢が、一緒に酒を飲むたび、少しずつ固まっていった。

ある時、友達何人かで箱根に旅行(日帰りだったかも? 忘れた)に行った。その途中、強羅駅で、サッポロビールの「LOVE BEER?」ののぼりが大量にはためいているのを見て、ふたりで顔を見合わせる。

「これじゃね?」

即決でレーベル名が「LOVE BEER TRACKS」と決まり、ついに初めての、ふたりの両A面レコードをリリースしたのが、2001年のこと。イオさんは僕と学年がひとつ違いだったが、1年早く社会人になっていたこともあり、また、残業代などでかなり稼ぎがあるようだった。一方の僕は新入社員になりたてのポンコツ野郎だったので、プレス代の20数万円のうち、僕が出したのは5万だけ。「期限なしで返してくれればいいですよ」という感じだったが、その後、多少は売り上げがあり、それで相殺したみたいな感じだった気がする。そう、出会った当時のイオさんは、今となっては信じられないけれど、“頼りになる先輩”って感じだったのだ。

ただ、基本的にはふたりともバカだったので、そんなレーベル名を名乗り、しかもレコードのセンターレーベルに、思いっきり「サッポロ黒ラベル」の、黒字に金の星マークをデザインし、しばらくしてそれを知ったサッポロ社から注意を受け、レーベル名を「LBT」と改めた。

それから現在までの22年間で、僕らがリリースしたレコードやCDの数は数えきれない。そのどれもに、忘れられない思い出や、苦労話や、笑えるエピソードが詰まっている。イオさんの思いつきから、素人ながらに始めた「クラブDJストーム」という漫画が、一時期は想定を超えて話題になったりもした。

ただ、もう15年以上も前だったことは間違いないが、イオさんは仕事の忙しさから、メンタルを壊してしまった。あまり詳しいことはわからないけれど、定期的な投薬が必要になり、やがて茨城の実家に帰らざるをえなくなった。ぶっちゃけ、僕が新卒で入った会社も超ブラックだったけど、僕はそこを「もうやってらんねー」と、3年弱で辞めた。そういう意味で、ぎりぎりまでがんばってしまったイオさんは、自分より責任感が強かったとも、真面目すぎたとも言えるのかもしれない。

もちろん、それ以外にもいろいろな理由が絡み合ってのことだろう。イオさんを知る友達ならばみな知っていることだと思うが、彼は徐々に徐々に、会うたびに少しずつ、いわゆるポンコツキャラになっていってしまった。世間一般に「天然」と言われるようなエピソードには本当に事欠かず、そのどれもがめっちゃ笑える。たとえば駅のホームで電車が来るのを待っていて、その電車が時間どおりにやってきたのにぼーっとしていて、気がついてあわてて乗ろうとし、閉まるドアに両肩をガーンと挟まれたあげく、けっきょく弾き出され、電車が行ってしまう。そんな人、知り合いにいます? そんなことが日常茶飯事なのが、イオさんなのだ。

が、それとは別に、レーベルのメンバーたちが話し合い、「まぁ、この方向がベストでしょう」となっても、ひとりだけかたくなに否定し、そしてその意見をゆずらない、というような場面も多くなっていったような印象がある。どんどん頭が固くなっていくというか。まぁ、どっちが正しい選択だったのかなんて、今となってはわからないんだけど。

また、これは僕自身の話。僕も20代くらいまでは、「音楽で一旗揚げ、ミュージシャンとして暮らしていきたい」なんていう熱い想いを持っていた。ただ、30歳を過ぎてちょっとしたくらいに、寝る前、突然天から「芽が出ない節」という曲のメロディーと歌詞が降ってきて、曲にし、それを含む今までの活動の集大成的な作品「ALCOHOLIC TUNES」と、その予熱で作ったような「TANUKI SONGS」という2枚のアルバムをリリースしたら、もう、音楽活動に関しては、いったんやりきったという気持ちが大きくなってしまった。そして、同時進行的にのめりこんでいった、酒や酒場についてを文章で記録するという活動に、重心が完全に移ってしまった。僕の場合、運良くそれが酒場ライターという仕事となり、思うぞんぶん人生をかけてよくなったので、それも大きい。

惰性で続けるという選択肢もあるが、メンバーに対しても失礼だし、そもそも音楽活動って、そんなノリで続けられるほどライトなものではない。結果、数年前に「しばらくはきっぱりと、LBTの活動を休ませてください」とみなに伝えた。一生戻らないかもしれないし、音楽活動の楽しさは知っているから、いつか急にモードが変わって、そのときにLBTがまだあって、さらに受け入れてもらえるならば、戻る可能性もなくはないかな? くらいの気持ちだった。

その後もイオさんは、「自分にはこの道しかない」という感じで、音楽活動を続けているようだった。どこか不器用で、常に「あがいている」という印象もなくはなかったが、そこに熱意を持ち続けているということは、彼にまだ希望があるということなのだろうと思っていた。また、僕が離れたあとにも、オニオンボーイさん、カレーパイセンさんという新メンバーがLBTに加入して、「あんなやつを慕って、レーベルにまで入ってくれるなんて……」と、親戚のおっさんのような立場から、ものすごく感謝していた。

そして、マエダケンジさんの存在だ。マエダさんは僕が在籍していたころにLBTに加入し、数年間活動をともにしたメンバーだ。人間的に狂ってるというか、底知れない面がある一方、めちゃくちゃいい人で、かつ、音楽的な才能もすさまじい。そして、少しずつメンバーの入れ替わりがあるなか、はたから見ても、イオさんをずっと根気強く気にかけ続けてくれていたのがマエダさんだった。たまにイオさんのSNSを見ると、そのありがたみを当人がいちばん見落としているような、マエダさんに対する無礼な言動などもちらほらと見受けられ、それに関しては素直に腹が立った。

イオさんは、いちばん長く活動をともにしてきたという意味で、僕に対しては引け目も多く、遠慮も強かったのだろう。寂しがりやで、酒を飲むと手当たり次第に友人知人に連絡をしまくる悪癖があったが、ここ数年、僕にはめったに連絡をしてこなかった。それでもごくたまに、酔った勢いか夜遅くに「LBTのことなんですけど……」なんてLINEや電話が来ると、「いや、自分はもう活動を離れているのでなにも言うことはありませんって。それよりイオさん、マエダさんにもっと感謝をしたほうがいいですよ」なんて、説教じみたことを言ってしまった。人に説教などできる人間ではないんだけど、ついついイオさんにだけは。

そんなイオさんが、今年1月14日亡くなってしまった。そのことをLBTのメンバーで最初に知ったのはマエダさんだった。翌日に大阪でイベントがあるのにLINEが既読にならないから、朝、念のためご実家に電話してみたら、その時はもう……ということだったらしい。ほら見ろ、やっぱりじゃないか。マエダさんにもっともっと感謝しろよ、本当に。

数日後に行われた葬儀には、LBTの一部の新旧メンバーと、ごく親しくしていた本当に数名で参列した。行きの電車はとても葬儀に向かうとは思えないほどなごやかな雰囲気だったが、現場に着き、棺のなかのイオさんの顔を見たら、どうしようもなくなった。だって、何度も何度も会ってきたあのイオさんが、そりゃあ近年、いつ見ても目に生気はなかったけどさ、完全にフリーズしてるんだもん。実際に、そこにいるのに。どうしたって実感がわいてきてしまい、涙がこらえられなかった。

宗派によっていろいろと違いがあるんだろう。お坊さんがお経の最中に、小さな銅鑼みたいな、シンバルみたいなものを「ガシャーン、ガシャーン、ガシャ、ガシャ、ガシャガシャガシャガシャ……ガシャーン!」とまるでハウスのブレイクみたいに打ち鳴らす、個人的に初めて見る場面があった。ここだけの話、そのピークで、「レイブ・オーン!」とか言いながらイオさんが起き上がったらおもしろいな、なんて不謹慎な想像もしてしまったけど、当然、そういうこともなかった。

ただ、散々泣いたそのあと。メンバーでメシ屋に寄り、遅い昼メシを食べていると、最初は「いやぁ、本当でしたね……」「つらいっすね……」なんて話から始まるんだけど、徐々に彼のおもしろエピソード大会が始まり、やがては苦言大会になっている。「ち、ちょっと待ってくださいよ!」と、いつもの調子でイオさんが割り入ってこないことだけが不思議というか、あまりにもいつものままで、力が抜けた。そしてなんだかんだ、今日も話題の主役はずっとイオさんなのだった。

いつか僕が死んだとして、「惜しい人を亡くしましたね……」なんて悲しんでくれる人は、少しくらいいるだろう。けれどもイオさんのように、もうその場にいないのに話の中心になって、いつの間にか参加者が涙を流すほど笑っている。そういう人は、彼の他にあまりいない気がする。けっきょく、誰にとっても気になる存在で、憎めない男だったんだよな。

というのが、ざっくりとしたこれまでの経緯。

ここからほんの少しだけ、個人的な想いを書こうと思う。あとで見返して恥ずかしくなったら消すかもしれない。

出会ってから十数年以上という長い間、イオさんとおれのコンビは、はっきり言って“最強”だった。それから少しずつ、長い長い時間をかけて、それも「どんどん仲間を増やしてこ〜!」みたいなノリじゃなく、偶然出会って増えていったメンバー。ただ気が合うだけじゃなくて、それぞれに尋常ならざる才能があり、それでいて頭はおかしく、気のいいやつら。そういう奇跡のようなメンバーが集まったLBTは、完全なる“無敵集団”だ。それは、どこの誰が「いや、そんなことねーよ。お前らダセーよ」と言おうと、長年の活動をとおして一度も商業的な成功がなかったり、メインストリームからの評価をまったく受けてこなかったという厳然たる事実があろうと、一切関係ない。

だって、毎日のように一緒に酒を飲んでは酔っぱらい、それこそ息ができなくなるくらいに笑いまくって、次はどんな作品を作ろう? どんなパーティーをやろう? と話し合って、それに向かってたまに真面目に努力して、その達成感でまた酒を飲んで……。そういう日々が実際にあって、そりゃあ他人と比べるものではないけれど、自分たちとしては、この地球上の、歴史上の、誰と比べたって負けないくらいに「最高に楽しかった」と断言できるんだもん。それが、なによりの証拠だ。

もし、イオさんとの出会いがなければ、あの日々がなかったのは確実なんだよな〜……。あ〜もう、まじで、なんなんだ!

そう思うと、「金を貸してくれた」とか「トイレを先に使わせてくれた」とか以外では言ったことがないかもしれない言葉を、なんだか悔しいけど(と、思わせるところがまたイオさんらしいんだけど)、一度くらいは言っておいてやろうかな。

イオさん、ありがとう。おつかれっす。

そういえば数年前、なぜか「回文」にハマり、オリジナルをいろいろと考えたことがあった。その時に作り、我が人生最高と今も思っている回文を最後に掲載し、この記事を締めさせてもらうことにする。

おい! タイにいた! イオ!

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